とびだせ ユズアメの森

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「涼宮ハルヒの消失」のメッセージはオタク趣味へのパッションという説(ネタバレ重度)

しつこいですがまだ「涼宮ハルヒの消失」のターンです。
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これまでのあらすじ

小説未読で「涼宮ハルヒの消失」を平日の夜レイトショーで観てきたyzuameは、長門の感情の動きについて自分が思っていたことを深夜ダイアリーに書き綴ったのであった。
「涼宮ハルヒの消失」観てきたけど、長門の気持ちについて言っておきたいこと(ネタバレ含)

今回は「涼宮ハルヒの消失」は一般的な世界VSオタク的な世界という切り口の感想メモ。


最初にことわっておきますが、知人(matanoriさん)の受け売り8割です。以下のような視点は自分になかったので、とてもおもしろかったです。


涼宮ハルヒの消失」では、キョンが「涼宮ハルヒに振り回される日常」と「涼宮ハルヒのいない、平穏な日常」の選択を迫られ、前者をとる。これが、「ラノベとかアニメとか非日常のあるオタク日常」と「一般的な普通のリア充日常」ともとれるのでは、と。
前者はラノベとかアニメとか特撮とかフィギュアとかにオタクな趣味に振り回される自分がいて、表向きにはこりごりだぜみたいな世界。
後者は、普通で平穏で、自分に好意を持ってくれるかわいい女の子(眼鏡の方の長門)がいる世界。
主人公は後者のような生活に憧れを持っていた、でもいざそうなってみると、自分でも認めたくないけど喪失感に襲われる。
どちらの世界を選ぶ?選択を迫られる。


選んだのは、平穏でリア充な世界ではなくて、変で受難が多くとも楽しい方の世界。



オタク趣味て後ろ暗く、認めたくなかったり人に言えなかったりやめようとする人もいるかもしれない。涼宮ハルヒの消失」は自分が好きなことに、自信を持って楽しめばいいじゃない!ていうメッセージがこめられています。確かに、改変後の世界でつまらなさそうにしていた髪の長い方のハルヒの、おもしろいことをみつけたときのキラキラっとした笑顔。本当に楽しそうで輝いてた。あの瞬間のうれしさと安堵といったらなかった。
すごいなぁ、涼宮ハルヒの消失のハートキャッチぷりは・・・。