とびだせ ユズアメの森

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「涼宮ハルヒの消失」観てきたけど、長門の気持ちについて言っておきたいこと(ネタバレ含)

レイトショーで涼宮ハルヒの消失を観てきた!リピーターを含むファンの人たちと。AM4:06なう。明日の会社が終わった系だけどこれだけ一応書いておきたいと思って。



小説版を読んだことがなく、アニメも二期はろくにみていないようなにわかなんだけど、まさに雪のように、しんしんと静かで綺麗で、降り積もって深く染み入るような素敵な映画だったと思。ハルヒのキャラが好きで、なおかつ空気感とゆったりとしたこまやかな描写を描く時間と、長時間のズバットバット三世の語りに耐えられることが条件にはなるけれど。めっちゃおもしろかったかというとそうではないけど、せつないような優しいような気持ちになった。

ハルヒが大好きなファンの男性陣に混ぜてもらってみにいき、終電もとっくに無い深夜、映画後かみしめるように喫茶店トーク長門がかわいいねとか長門のラブストーリーだねとか。

その中で出た意見で、「(眼鏡の方の)長門が一緒に帰りたくて黙って待ってるのとかはかわいいけど、部屋に誘うのは急に飛躍的に積極的すぎて理解に苦しむ」というもの。同意者多かったのだけど、わたしはそこをみんなが勘違いしておられるのではと思った。一女子として。いや、勘違いも何も正解なんてないから、それぞれが思ったことを思っていればいいのだけど・・・!
うまく言えないんだけど(喫茶店でも全くうまく言えなかった)、あのときの長門は「一緒にいたくてOR仲良くなりたくて積極的になった」というのは少し違うと思う。長門はあの時点で、キョンに対して「ありがとう」という気持ちを伝えたくて、「ありがとう」て言わないとと思っていて、でも言いそびれていて、帰りを合わせたり、部屋に誘ったりしたんだと思う。すでにキョンに好意を持っていて積極的になったのではない!(好意は潜在的にはあったかもしれないけど)。あの時の長門にとっては「ありがとうということ」の方が「二人きりで帰ること」「一人暮らしの部屋に招くこと」よりハードルが高かったんだ。もっと気持ちが大きくて、大切なことだったから。
一緒にいたいていう気持ち、キョンへの思いが現れたのは、帰ろうとしたキョンの裾をつかんだとき。眼鏡の方の長門の気持ちが変化した瞬間なんじゃないかな。それ以後の長門の照れとか恥らいには、好意からくるものが混ざったと感じる。気持ちに気づいたあとは、逆にもう、部屋に呼ぶなんて大胆恥ずかしすぎて無理になってると思う。

とにかく言いたいのは、「あそこだけ積極的すぎておかしいよね」という感想はわたし的にはちょっと違うと思うということ。そして、この、勢いで部屋に呼んじゃってまで長門が伝えた「ありがとう」は、そのキョンは知らないことに対してで、かみ合わない「ありがとう」ではあった。でも、本来の長門を含む長門からの、本来のキョンへのメッセージでもあった。 
 「ありがとう」